2006/11/29//Wed. 02:23
![]() | 5 by Monk by 5 Thelonious Monk Riverside/OJC 1991-07-01 売り上げランキング : 25595 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
やられた。しかも二度も。初めて聴いたときと、今と。
輸入レコードの音が国内盤よりも魅力的だと思い始めた頃、何でもいいから輸入レコードを買い漁れ!と思っていた。そういうときに都合がいいのが「トゥー・ファー」(2枚組廉価盤)。発売当初は2枚組で1枚もの程度の値段で購入できるといった代物であったろう。ジャケットにも「Specially Priced Two Record Set」と小さくかかれている。しかもレコード生産がほぼ絶滅した今となってはこのような廉価盤は投売り状態である。程度にもよるけれどもCD1枚分の値段で3枚~4枚分程度の音源が購入できるのだ。魅力的な音、なおかつ聴きたい量を優先するのであれば買わない手はない。
モンクのトゥー・ファー「ブリリアンス」を購入したのは「ブリリアント・コーナーズ」が聴きたかったからで、別に「ファイブ・バイ・モンク・バイ・ファイブ」を聴きたかったわけではない。ジャケットは見たことがあったけれども、別に名盤というわけでもないだろうし、と思っていた。
だが聴いてみると結構いいのだ。CBS時代ではおなじみのチャーリー・ラウズはモンク・バンド初参加。お馴染みのフレージングなのだが初参加だけにフレッシュな味わいがある。それにコルネットのサド・ジョーンズ。アルバムのトーンを決定的にしているのは他でもない、サド・ジョーンズその人だ。彼の参加によって演奏が軽妙かつ快活になっていることは間違いない。ラウズだけだと多分こうはいかなかったろう。モンクの奇妙な、ともすると重たい感触がジョーンズの参加によって中和され、奇妙なスウィング感を生み出している。
一番面白いのがモンクだ。ピアノ演奏がどうのこうのと言う前に、どこを切ってもモンクの音楽であると感じる。長時間ピアノが聴こえないところが何箇所かあるが、そういう個所でもモンクの存在感がある。多分、後ろで踊っているのだろう(笑)。
とまあ、ここまでは最初に聴いたときの感想とほぼ同じなのだが、やられたのは最後の「アスク・ミー・ナウ」だ。
このアルバム、最初聴いたときから長い間放りっぱなしであった。「アスク・ミー・ナウ」を最後にもってくるというのは穏やかでいい終わり方だなというのが当時の感想だった。これを聴くと、再び最初からアルバムを聴きたくなるのだ。
それから半年以上経過した今。レコードからカセット・テープに落としたものを何気なくかけた。飲んだくれてトチ狂うには丁度いい音楽だと思った。ちょっと自暴自棄になっていた。「アスク・ミー・ナウ」の存在などすっかり忘れていた。
だがこの曲がかかった瞬間、ふと我に返った。なぜこんなに気持ちが安らぐんだろう、いびつで外れた音が沢山混ざっているのにも拘らず。落ち行く夕陽を静かに見つめているときのような至福の時がゆっくりと流れている。ずっとこの時を求めていたような気がして、いつまでもこの曲を聴いていたいと思ったけれども、繰り返し聴いてもその感触は戻ってこなかった。あれは一体なんだったのだろう。でも、残り香だけは今でも感じることができる。
何年か経ってもう一度聴いたとき、あの至福の時は再び訪れてくれるだろうか?
1. Jackie-ing
2. Straight, No Chaser
3. Played Twice (take 3) (Master Take)
4. Played Twice (take 1)
5. Played Twice (take 2)
6. I Mean You
7. Ask Me Now
Thad Jones (cor) Charlie Rouse (ts)
Thelonious Monk (p) Sam Jones (b) Art Taylor (d)
NYC, June 1, 2 & 4, 1959
スポンサーサイト

2006/05/21//Sun. 10:09
![]() | Brilliant Corners Thelonious Monk Riverside/OJC 1991-07-01 売り上げランキング : 31,828 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
恐ろしい盤である。これだけ内容の濃い盤も珍しいと思う。セロニアス・モンクという人がジャズ好きのみならずロック好きにも興味を沸き立たせてる要因はこういう音楽を作ってしまうところにあるのではないか。
1曲目「ブリリアント・コーナーズ」。イントロの15秒間で聴く人間を峻別してしまうだろう。聴いた途端に「ゲッ、気持ち悪ッ」と感じて聴くのをやめてしまうか、「何じゃコリャ、面白ぇ」とおもって聴き入ってしまうか。モンクのピアノに導かれて入るアーニー・ヘンリーとソニー・ロリンズ。この二管の低音によるハーモニーがグロテスクで聴くものを選んでしまうのだ。
かく言う俺がそうだった。この盤は聴いたことがあるはずなのにほとんど記憶がない。多分、さわりだけ聴いて拒絶反応を示してしまったのだろう。モンクに興味を抱いたのは最近だし、聴いた時は単に「名盤だから聴いてみよう」と思って聴いただけのはずだから。
1分30秒目からロリンズ→モンク→アーニー・ヘンリーとソロが続く。ロリンズもヘンリーも、こんな変てこな曲でソロが吹けるなと感心してしまう。テンポが何度も変わるし、「モンク色」を出さないとモンクが許さなかったんじゃないのか。
ロリンズのソロは一聴すると「モンク色」一色のような感じがするが、何回か聴いてみると「ロリンズ色」もうまく出ているように思う。ロリンズの中で「モンク」と「ロリンズ」が戦っているような感じ。だからこそ緊張感がでていて面白いのだ。これがチャーリー・ラウズだったら恐らくこの緊張感は出ないだろう。
ヘンリーのソロも面白い。この人は始めて聴いたが、モンクの音楽にマッチしたような奇妙な音を出している。調べてみるとチャーリー・パーカー直系のバップ期の人で31歳でなくなっているらしい。「プレゼンティング・アーニー・ヘンリー」を試聴したところ、「ブリリアント・コーナーズ」とは全く違った普通のジャズのノリで演奏している。割と好きなケニー・ドーハムと共演しているので、後日聴いてみたいと思う(本当の目当てはドーハムだったりするのだが)。
マックス・ローチのドラム・ソロもあるのだが、ローチとは別人のよう。凄くやりにくそうに叩いている。
とにかく面白い演奏だ。モンクの作曲家、編曲家としての特徴が、アルバム内でもモンクのキャリアから言っても一番良く出ていると思う。いや、「良く出ている」程度の話ではない、出すぎて怖いくらいなのだ。音楽的な特殊性、インパクト、サプライズといった要素がこれでもかという位に詰め込まれている。
1曲目の冒頭で拒絶反応を示した人はすぐに曲を飛ばして2曲目を聴いてみよう。単純なブルースだから気軽に聴ける。しかもモンク色が遺憾なく発揮されているから、肩ならしには最適だろう。ブルースといったが途中途中でワルツっぽいリズムになるところが面白い。ソロはヘンリー、モンク、ロリンズ、ペティフォード、ローチの順。ロリンズは若干緊張気味か。
絶品なのは次の「パノニカ」である。モンクの奏でるチェレスタ(鍵盤付き鉄琴)をバックに、ヘンリーとロリンズが美しくしかし不協和音で一瞬だけ濁るハーモニーを奏でる。この「一瞬だけ」不協和音が入るところがミソだ。これがなければモンクではない。単純な美しさで終わらせないところがモンクの魅力なのだ。
モンクはチェレスタだけではなくピアノも弾いている。マイルストーンのトゥーファー(廉価2枚組レコード)「ブリリアンス」("Brilliance" M-47023) のナット・ヘントフ氏のライナーによれば、モンクはスタジオでチェレスタを見つけると、「パノニカ」に合っていると判断し、ピアノとチェレスタを直角に配置して同時に弾けるようにしたそうだ。そのため、テーマ演奏の途中途中でピアノに変わったりチェレスタになったりしている。テーマ演奏はオルゴール音のようなチェレスタのおかげでまるで子守唄のようだ。いつも「ニヤッ」とさせられるのが1分38秒~39秒目のモンクが発するチェレスタの一音。このタイミングが絶妙で、いかにもモンクらしい。
ロリンズのソロがこれまた素晴らしい。モンクとロリンズの共演では「モア・ザン・ユー・ノウ」が一番不思議で素晴らしいと思っていたが、この「パノニカ」は「モア・ザン・ユー・ノウ」に肩を並べる素晴らしさ。モンクのピアノをバックにしてこれほどまでに情熱的にしかも格好良く、自分の味を存分に出してブロウできる男がいただろうか? 恐らくロリンズとコルトレーンのほかには誰にもなし得ないだろう。
ロリンズの後のモンクによるチェレスタとピアノのソロはため息が出るほど美しく、言葉を失ってしまう。
「パノニカ」は他の盤でも演奏されているが、この盤での演奏がベストだ。モンクが嫌いな人がいるとしたら、是非ともこの「パノニカ」を聴いて欲しい。きっとモンクに対する見方が変わると思う。珠玉の演奏。
「アイ・サレンダー・ディア」はピアノ・ソロ。モンクの優しさが隅々まで行き渡っているようなまろやかな「ソロ・モンク」の演奏と比較すると、少し尖っているように聴こえる。可愛らしい「パノニカ」の後ではちょうどいい雰囲気かも。
「ベムシャ・スウィング」はアーニー・ヘンリー(アルト・サックス)とオスカー・ペティフォード(ベース)に逃げられてしまった代わりにクラーク・テリー(トランペット)とポール・チェンバース(ベース)が参加している。
冒頭のテリーとロリンズのユニゾンがとても気持ちよく決まっているし、マックス・ローチがティンパニを使用しているために、あたかもビッグ・バンドの演奏であるかのように聴こえる。ただしローチはティンパニ中心に叩いている訳ではなく通常のドラムのアクセントとして使用しているので誤解のなきよう。
「モンク・イン・トーキョー」での「ベムシャ・スウィング」の演奏は単純にスウィングしていてとても楽しいのだが、こちらではローチのドラミングがとても複雑で面白い。ついつい管やモンクのピアノよりもドラムとティンパニに耳がいってしまう。
こういうドラミングをこなせるマックス・ローチって、やっぱり天才なんだろうな。正直言うと俺はあまりローチは好きではないのだが、このアルバムでの彼のドラミングを聴いていると天才だと認めざるを得ない。もしアート・ブレーキーだったらどうなっていただろう? と想像すると、もう一つの名盤(迷盤?)「モンクス・ミュージック」を聴きたくなってくる。
以上、長々と「ブリリアント・コーナーズ」について書いてみたのだが、聴けば聴くほど面白く聴ける盤である。しかも楽曲と演奏がバラエティに富んでいて、あたかもセロニアス・モンクの音楽的業績とエッセンスが1枚にぎゅっと凝縮されているかのよう。「エッセンス・オブ・セロニアス・モンク」というベスト盤が以前あったが、まさにこの「ブリリアント・コーナーズ」こそが「エッセンス・オブ・セロニアス・モンク」だ。
もし1曲目でコケてしまったら、飛ばして最後に聴くようにすればだいぶ聴きやすくなるのではないか。2曲目も駄目なら、少なくとも「パノニカ」だけは是非聴いてみて欲しい。素晴らしいよ。
1. Brilliant Corners
2. Ba-Lue Bolivar Ba-Lues-Are
3. Pannonica
4. I Surrender, Dear
5. Bemsha Swing
1:
Ernie Henry (as) Sonny Rollins (ts)
Thelonious Monk (p) Oscar Pettiford (b) Max Roach (d)
NYC, October 15, 1956
2-3:
same personnel as above
(Monk also plays celeste on "Pannonica")
NYC, October 9, 1956
4:
Thelonious Monk (p)
NYC, October 15, 1956
5:
Clark Terry (tp) Sonny Rollins (ts)
Thelonious Monk (p) Paul Chambers (b) Max Roach (d, tympany)
NYC, December 7, 1956
【参考】
piouhgdさんのレビュー

2006/05/03//Wed. 01:55
![]() | Monk in Tokyo Thelonious Monk Sony International 2001-07-10 売り上げランキング : 177,260 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
63年初来日時のサンケイ・ホールでのライブ録音。本当は映画「ストレート・ノー・チェイサー」に出てくる演奏のようにラフでワイルドなモンクが味わいたかったのだが、この日本でのライブ録音は非常に大人しい。それだけに聴きやすさは抜群。だが、そこはモンク。聴きやすいからといってつまらない訳ではないし、濃度が低いわけでもない。ちゃんとバンド全体からモンクの個性が感じられるところが素晴らしい。
大人しく聴こえる理由はもう一つある。録音バランスだ。ドラムが右、モンクが左、ベースとサックスが中央に定位していて、まるでモンクはチャーリー・ラウズのバンドのサイドマンとして参加しているような感触に捕われる。テナー・サックス好きの人にとっては気持ちのいいバランスだろう。
バンドの演奏としては、以前紹介した「カーネギー・ホール」ではきっちりとしていて「メカニカル」な雰囲気があったが、「イン・トーキョー」ではスウィング感が濃厚だ。リズムを担うベースとドラムが違うミュージシャンだというのが(もちろん)最大要因。特に「イン・トーキョー」でドラムを叩いているフランキー・ダンロップは引きずるようなオカズの入れ方と強烈な裏ノリがいい意味でルーズな感触をかもし出していて、「カーネギー」と聴き比べると雲泥の差である。
言うまでもないかもしれないが、「カーネギー」と一番異なるのがサックスだ。「カーネギー」ではコルトレーンもモンクも自分の音楽を演奏している。トレーンがモンクに追従するのでもなく、モンクがトレーンに協力しているのでもない。互いの力が拮抗しあい、両者の音楽が一点で綺麗に交差したところに「カーネギー・ホール」の音楽がある。それが稀有な美しさを宿している理由なのだ。
「イン・トーキョー」のチャーリー・ラウズはモンクの音楽を体現しているように思えてならない。ラウズがモンクの音楽を咀嚼して(つまり努力して)表現しているというよりも、モンクの霊魂がラウズに憑依してサックスを吹かせているように感じられる。だからモンクが大人しくてもモンクの個性をはっきりと感じ取ることができるのだ。「イン・トーキョー」を聴くと、なぜラウズがモンクに長年使われていたのかが理屈ではなく音楽でわかる。
アルバムとしては、全ての演奏を褒めちぎりたいところだが、2枚目の「ハッケンサック」あたりになるとルーズさが悪い方向に出て緊張感がなくなってくる。ベース・ソロとドラム・ソロが長いからだろうか。この辺りは個人的な嗜好がかなり影響しているのかもしれない。他の曲はどれも素晴らしい。一度聴いたら忘れられない「パノニカ」、モンクのピアノ・ソロの「ジャスト・ア・ジゴロ」、イントロが流れ出した途端に歓声が沸きあがる「ベムシャ・スウィング」など、何度でも聴きたくなってくる演奏ばかりだ。
現在、日本盤CDはとうに廃盤。輸入盤CDでも入手し難くなっているようだが、こんな名盤、なぜ売れないんだろう? やはり日本でのライブというのが海外では受け入れ難いという理由か。
63年の日本でのライブは「Japan '63」というタイトルのものがあるが、これは2日後のテレビ出演時の音源。「イン・トーキョー」に比べるとちょっと重たい演奏。観客のいないスタジオ・ライブのせいか。この盤での「ジャスト・ア・ジゴロ」は「ストレート・ノー・チェイサー」でも使用されていた。この映像は以前レーザー・ディスクでも発売されていたようだが、そろそろDVDで出てくれないかと期待している。
何はともあれ「イン・トーキョー」。聴きやすいし親しみやすい。こんな名盤、放っておくのはもったいない。
【Disk 1】
1. Straight, No Chaser
2. Pannonica
3. Just A Gigolo
4. Evidence (Justice)
5. Jackie-ing
6. Bemsha Swing
7. Epistrophy
【Disk 2】
1. I'm Getting Sentimental Over You
2. Hackensack
3. Blue Monk
4. Epistrophy
Thelonious Monk (p) Charlie Rouse (ts)
Butch Warren (b) Frankie Dunlop (d)
Tokyo, Japan, May 21, 1963

| ホーム |
